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「風流」とは、日本人が今までに生きてきた中に築かれた一種の「生き方」であり、現在ではあまり見られなくなったものでもある、いわゆる絶滅危惧種となっている。

現在、風流で辞書を引くと、このように書かれている。
優雅で上品なこと。また、俗事を離れて、詩歌や趣味をたのしむこと。
イメージとしては、平安貴族の生活のようである。
その風流も時代によってニュアンスが微妙に変わっているということはご存知だろうか。

まず平安時代は 貴族階級の美意識を表すものであった。
そして中世は「人目を引く趣向」といった意味になってゆき、「1回切りの趣向」が重視された。
また江戸時代には、その一回きりの趣向も消えていった。
そして、これらの「風流」を経て、現在の風流へとなっていった。現在言われる風流は、平安時代に近い風流であることは、分かる。

風流についてよく書かれていたのが、「枕草子」「徒然草」であろう。
まず枕草子。これには「をかし」という単語が頻出する。「をかし」とは、「趣がある」という意味の単語である。つまり、枕草子には清少納言が趣があるなぁと感じたことが綴られているということだ。

枕草子で有名なのが、
「春は曙。やうやう白くなりゆく山際すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」
この冒頭である。
春は明け方に趣があるということを描いた一文であるが、清少納言の美意識を簡単に読み取ることの出来る段の始まりである。

四季の美しさを描いた冒頭であるが、これを読んでみると、自分の美意識と清少納言のそれが違うことがよく分かる。
どちらが風流である、などとは読み取ることは出来ないが、他人の風流を読み取るのも面白い。

そして、徒然草。兼好法師の書いた随筆だが、内容は日常生活を描いたものから、自分が感じたことまでが綴じられている。
面白おかしい失敗ごとから、どういうことが風流なのか、などが焦点となっている。

徒然草第一三七段、花は盛りに。
わたしが読んだ中では、この文章に兼好法師の美意識が詰め込まれていると感じた。
冒頭は、こうだ。
「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。」
つまりは、桜は盛りに、月は満月のみを見るものではないであろう、という意味である。桜は咲き始めのつぼみのころから、散ってしまうまで。月は満月はもちろん、雨の日のように雲に隠れた月を恋しく思うのも、風情があるだろうという。

そもそも、桜は非常に短い間のみに咲く花である。
早く散るために、子供の名前に使うのは良くないという考えもあるほどだ。
花見客はこぞって満開の桜を見ようとする。そのため花見は込み合うのだ。
しかし、散る桜も風情があるものであるし、葉桜なども見所がある。しかし、人は満開のときにのみあるまる。それは、「桜は満開のときみ見るのが一番である」という頑固な人間がいるためであろう。
そういう風に「花は盛りに」には書かれている。

風流を感じることは、一種のステータスであると思う。
風流人は、日本の文化を愛しみ、守り、そして受け継がせる。保守がこれからの道として100%正しいとは誰も言い切ることはできない。
しかし、考えても見て欲しい。
今まで受け継がれた、「そのときどきを愛する」という日本の四季の生活は今や消え去りつつある。
四季にはそれぞれ良いところがある。
春は鮮やかな花の色が美しい。
夏は暑いところに趣がある。空も瑠璃色のように輝く。
秋は言うまでも無く紅葉。
冬には雪が降るという日本の四季。

言ったとおり四季それぞれを楽しむのは薄れつつある日本の文化だ。
一度失われたものは二度と作り出すことは出来ないだろう。
現在の欧米文化が入り混じった生活をするのも快適であろう。
ただ、日本の生活の美しさを、心のどこかで感じて欲しい。
可愛さで部長に負けた、私のドメイン。

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