最近、どこぞのサイトで見たケータイ小説。
今、若者の間で人気があり、ひとつのサイトから数十作ものケータイ小説が出版されているなど、ケータイ小説は若者の間での一種の『文学』ともなりつつある。
やはり、口語調であり、若者にとってはフィーリングが合いやすく、非常に読みやすいものなのであろう。
確かに、字の小さな小説は出来れば私も詠みたくない。というのは、見づらいからである。
芥川龍之介や夏目漱石などなどといった文学界の巨匠の小説はいまや、読まれる機会が少なくなってしまった。そういうのも、こういったケータイ小説の台頭が原因であろうと考えられる。
そんなケータイ小説。
実は賛否両論であることをご存知であるだろうか。
まず賛成という意見だが、冒頭で述べたとおり、ケータイ小説は若者にとって親しみやすく、読みやすいものである。また、若者の心をつかむように描かれたストーリーなどなど。
ケータイ小説は「若者から若者へ」といった感じの小説である。
若者が発信したものであるため、若者が買い、それがヒットするのもうなずける。
しかし今まで、売れたケータイ小説はどれも読者の「感動の声」が帯にかかれていたりする。それを見た新たな読者が、「なるほど」と思い購入する。
いわば連鎖的に売れているような感じがしないでもない。
それに、流行に流されやすい人がいないわけではない。そのため、回りに流されて購入した人も多いだろう。
そして、反対の意見だが、ケータイ小説は必ず横書きであることだ。
日本古来よりの縦書きを無視したものであるため、「小説」と呼ぶにはおこがましい。文章が変であるという意見が多い。
ある掲示板で、その変な点を見たが、確かにひどいものである。
意味の重複、矛盾、擬音の表現などなど。
また、物語がワンパターンだという批判もある。
さらに、これからの国語の教科書からは、過去の「文豪」の小説は消えていくという話も聞いた。
昔の小説を教科書に採用しなくなるようになる理由は。
「昔の小説は、設定がその時代のものであり、小中学生はその背景を想像するのが難しく、読みにくいためだ」との旨だ。
これは、小説のよさを全く分かっていない愚か者か、ゆとり教育賛成派のばかげた発言である。
そもそも小説というのは、その物語を楽しむものであると同時に、文字ばかりの紙面から、登場人物の気持ちや、その場面の風景を楽しむものでもある。
それから想像力を鍛え、想像力豊かな子供を作り出すことが出来るのだ。
「ゆとり教育はダメだ」というが、この発言こそが、最もゆとり的な発言であるだろう。
もし、過去の文豪の小説が採用されなくなった場合どうなるのだろうか。
一番恐怖すべきは、
「小中学生が最も想像しやすいケータイ小説を教科書に採用する」ことだ。
そうなってしまえば、日本の未来は…
ケータイ小説も良いのだが、今日思うのは、これまで築いてきた日本の文学が、崩れ、新たな土地に別に「文学」として狂った文章が築かれることだ。
何もケータイ小説が狂った文章であるとは言わない。
しかし、これからの政策と小説の進む方向によってはノーベル文学賞を受賞した川端康成の名も、これからの時代の流れとともに消えてゆきそうで、恐怖を覚える。
関連記事
小説、メディアの進化
可愛さで部長に負けた、私のドメイン。今、若者の間で人気があり、ひとつのサイトから数十作ものケータイ小説が出版されているなど、ケータイ小説は若者の間での一種の『文学』ともなりつつある。
やはり、口語調であり、若者にとってはフィーリングが合いやすく、非常に読みやすいものなのであろう。
確かに、字の小さな小説は出来れば私も詠みたくない。というのは、見づらいからである。
芥川龍之介や夏目漱石などなどといった文学界の巨匠の小説はいまや、読まれる機会が少なくなってしまった。そういうのも、こういったケータイ小説の台頭が原因であろうと考えられる。
そんなケータイ小説。
実は賛否両論であることをご存知であるだろうか。
まず賛成という意見だが、冒頭で述べたとおり、ケータイ小説は若者にとって親しみやすく、読みやすいものである。また、若者の心をつかむように描かれたストーリーなどなど。
ケータイ小説は「若者から若者へ」といった感じの小説である。
若者が発信したものであるため、若者が買い、それがヒットするのもうなずける。
しかし今まで、売れたケータイ小説はどれも読者の「感動の声」が帯にかかれていたりする。それを見た新たな読者が、「なるほど」と思い購入する。
いわば連鎖的に売れているような感じがしないでもない。
それに、流行に流されやすい人がいないわけではない。そのため、回りに流されて購入した人も多いだろう。
そして、反対の意見だが、ケータイ小説は必ず横書きであることだ。
日本古来よりの縦書きを無視したものであるため、「小説」と呼ぶにはおこがましい。文章が変であるという意見が多い。
ある掲示板で、その変な点を見たが、確かにひどいものである。
意味の重複、矛盾、擬音の表現などなど。
また、物語がワンパターンだという批判もある。
さらに、これからの国語の教科書からは、過去の「文豪」の小説は消えていくという話も聞いた。
昔の小説を教科書に採用しなくなるようになる理由は。
「昔の小説は、設定がその時代のものであり、小中学生はその背景を想像するのが難しく、読みにくいためだ」との旨だ。
これは、小説のよさを全く分かっていない愚か者か、ゆとり教育賛成派のばかげた発言である。
そもそも小説というのは、その物語を楽しむものであると同時に、文字ばかりの紙面から、登場人物の気持ちや、その場面の風景を楽しむものでもある。
それから想像力を鍛え、想像力豊かな子供を作り出すことが出来るのだ。
「ゆとり教育はダメだ」というが、この発言こそが、最もゆとり的な発言であるだろう。
もし、過去の文豪の小説が採用されなくなった場合どうなるのだろうか。
一番恐怖すべきは、
「小中学生が最も想像しやすいケータイ小説を教科書に採用する」ことだ。
そうなってしまえば、日本の未来は…
ケータイ小説も良いのだが、今日思うのは、これまで築いてきた日本の文学が、崩れ、新たな土地に別に「文学」として狂った文章が築かれることだ。
何もケータイ小説が狂った文章であるとは言わない。
しかし、これからの政策と小説の進む方向によってはノーベル文学賞を受賞した川端康成の名も、これからの時代の流れとともに消えてゆきそうで、恐怖を覚える。
関連記事
小説、メディアの進化
この記事へのコメント
僕は学生なんで一応はこういうのに敏感なんですが。
たしかに今の学生は小説を読みませんね。ほとんどテレビを見てる。
僕は幼稚園卒園あたりから9年間、今に至るまで映画や映画をたくさん観ました。DVDも60本くらいあります。本ならダンテの神曲なんてのも読みました。自慢になってしまいますが、文芸作品などのセンスはいいと思っています。
上に書いてくださったように、文豪などと呼ばれる作家たちの作品が教科書から消えていくのは悲しいです。(それでも芥川龍之介くらいは載ってますよ)
ケータイ小説は少し見たら、もうだめだと思いました。まずみんなTVドラマの内容と一緒なんですもん。表現も「〜はこう思った。だけど・・は違った」程度。レベル低っ!!!
詩とかことわざからの引用が無いのでいかに文章を知らないかが分かります。ずっと携帯をピコピコやってるだけみたいな文。
あ〜〜〜なんかとても情けないです
たしかに今の学生は小説を読みませんね。ほとんどテレビを見てる。
僕は幼稚園卒園あたりから9年間、今に至るまで映画や映画をたくさん観ました。DVDも60本くらいあります。本ならダンテの神曲なんてのも読みました。自慢になってしまいますが、文芸作品などのセンスはいいと思っています。
上に書いてくださったように、文豪などと呼ばれる作家たちの作品が教科書から消えていくのは悲しいです。(それでも芥川龍之介くらいは載ってますよ)
ケータイ小説は少し見たら、もうだめだと思いました。まずみんなTVドラマの内容と一緒なんですもん。表現も「〜はこう思った。だけど・・は違った」程度。レベル低っ!!!
詩とかことわざからの引用が無いのでいかに文章を知らないかが分かります。ずっと携帯をピコピコやってるだけみたいな文。
あ〜〜〜なんかとても情けないです
2007/11/21(水) 23:00 | URL | トカゲ #-[ 編集]
この記事のトラックバックURL
http://kyougion.blog80.fc2.com/tb.php/598-e0fb90a2
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック