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富士山は高く貴い。
それは、万葉集に歌が納められている山部赤人の歌にも描かれていた。
「田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」
反歌ではあるが、百人一首にも載せられた有名な歌である。
富士が高く尊いというのは、日本人であれば誰でも持つ、共通の美的感覚であるだろう。美しいのは、遠くから見て、雪の白さと、山の青さの対比があるからである。実際近くで見ると、赤くくすんでゴミが落ち汚れすさんでいる。

富士山は高山であるゆえに、ある程度の高さを越えると、植物は生息しなくなる。高山植物であっても、五合目から少し登ると見なくなる。
一度、山頂まで登ったことがあるが、九合目からは、植物なんて生えもしない岩山となっている。
江戸時代の寺子屋では、このようなことを目的に学問が教えられていた。
「山高き故貴からず。樹有るを以て貴しと為す」
つまり、山は高いからと言って貴いというわけではなく、樹があってこその山であると教え込まれていた。
小難しい教えにも見えるが、要は体が大きいだけでなく、中身も伴って大きくなければならない。学問の出来る人間になれ。独活の大木にはなるな、という教えだ。
こういうことから見れば、富士は貴くないとなってしまう。

しかし、富士は様々な有名な画家に描かれた。有名なのが、葛飾北斎の富嶽三十六景だ。富士がどこかに描かれているということは、冨士は有名な画家に描かれるのに十分美しい山であったということだ。
私が思うに、富士が貴いのは様々な因果が絡み合ってこそだろう。
樹が無いといっても、裾野には樹海という巨大な森林がある。
また、雪や、色などすべてが美しくそろっているために貴く見えるのだろう。

山高き故貴からず。樹有るを以て貴しと為す。
これからの短い人生の教訓にしておきたいと思う。
可愛さで部長に負けた、私のドメイン。

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