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この世には、悪者と善者がいると考えてみよう。
善者がいつもまじめに仕事をして、社会に貢献し、いつも静かに笑っている。
悪者はいつもどこかで悪事をして、社会を憎んで、いつも静かに笑っている。
これがこの二人の違いである。
しかし、以上の定義ではもちろん間違いがどこかにある。
悪者、善者をそれぞれ細かく区分すると「絶対悪」「相対悪」「相対善」「絶対善」の四つに分けられるだろうと思う。
絶対悪は、想像だにできない悪だ。行動すべてが悪につながる。絶対的な悪であって、どう見ても人々からは悪にしか映らない。
そういう人物はいまだに見たことが無いが、きっと存在すると思われる。
チェーザレ・ロンブローゾの生来性犯罪人説が述べる人物こそが、絶対悪である。

では、相対悪とは何か。
それは、文字通り何かと比べて悪に傾いているという存在である。
このものの一部は、先程述べた生来性犯罪人である。しかし、もう半分は善者である。それはどういうことか。
それは、絶対的な存在があるからだ。
相対悪、相対善は絶対善、絶対悪と比べれば悪、善に傾いているという人間であると定義している。そのために相対悪、相対善には「善者」「悪者」が含まれている。
そして、絶対善が問題だ。
人間である以上、今までに罪を犯したことの無い者など、いるのだろうか。
現代の集団行動社会では、絶対に考えられないことだ。長いものには巻かれろという。いるとずれば、生まれてから孤独で、それを全く気にしないものだろう。

この世に絶対悪がいても、絶対善は存在しない。
そんな世界でバランスが取れている。
もし、絶対善という存在があれば、善の方向に世界が傾くと考えられる。
そういう社会が実現すれば、今のように犯罪を考えなくてもよいのだろうかと思う。
正直、犯罪だ犯罪だとテレビで騒がれるほど現実味が無いものは無い。
犯罪どうこうよりも、私は今日を一日精一杯に生きることのほうが大切だと思う。
可愛さで部長に負けた、私のドメイン。

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