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「すべての偶然は必然的に起こる」
昔からよく言われてきた哲学だろうと思う。
しかし、これは本当に哲学的に考えられたものなのだろうか。私は時としてそのことを疑問に思う。
なぜか。
偶然が起こるのはその事実が良くとも悪くとも、偶然だ。
良い場合は「ラッキー」で事が解決する。
なら悪い場合はどうだろうか。事にもよるが、とても、「あーあ。アンラッキーだったな」と片付けることができない事実だってあるだろう。
そういう場合は一体何が自分を慰めるだろうか。
他人が回りにいない場合、アンラッキーはアンラッキーのままで、他の何にもなりはしない。いくら悪態をついてみても、アンラッキーであることに変わりは無い。
そこで、「すべての偶然は必然的におきている」と考えれば、マシにはならないだろうか。少なくとも、現在の日本人には難しいだろうが、当時のキリスト教徒ならば、そういった考えはあってもおかしくは無いだろう。
有神論の考えでは、人間の偶然をすべて神の責任にしているような点も考えられる。

しかし、偶然が必然的におきているのならば、偶然という言葉は、意味を成さなくなってくる。また、その考え方が世間一般に広まれば、人生に起こりうることを「バランス」で考え始める。
すべてが偶然であれば、人生を「バランス」では考えないだろう。
人生を「バランス」で考えるとはどういうことか。
たとえば、悪いことが起こる。いいことが起こる。ならば、その次、または人生のいつかにその裏返しのことも起こりうるという考えられるということだ。
それが悪い考え方ではない。が、良いことが起こった後には、次の悪いことにおびえなければならない。
すべての必然を偶然と考えるのならば、人生は完全なギャンブルだ。
しかし、必然と考えるならば、人生は樹形図によって表されることになる。
Aを選んだから、Aのルートを、Bを選んだからBのルートをと、人生は正にゲームのようにシナリオがあるものになってしまう。
これでは、神が人間それぞれに人生のルートを与えていることになる。
万能の神といえども、そこまでしてしまっていいのだろうか。
決して無神論をとなえ、神は空想だ、というわけでもない。
どっちつかずの意見なのだが、自分の人生くらいは、自分に選択権があるといえよう。ただ、自殺などは、その範囲外である。
自殺という選択は、神に抗う最も重い罪であるとされた。
死は、人間にとって最も無駄であり、高貴なものだろうと思う。
たかだか、といっては語弊が生まれるが、人間が侵してよいものではない。

人生に道は無いだろう。
作り出していくものだ、とは言いたくないのだが、そのとおりだ。
貴方は、神の思うままに一生を終わりたいと思うだろうか。
少なくとも私はそうでは無い。
もし、人生の道があるのならば、限りなく神の思う道から外れ、道草をして、舗装されていない砂利道を歩いていきたい。

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