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日本では、日本国憲法によって法の下において平等とされており、様々な権利がすべての日本国民に与えられ、何人もその人権を侵害してはいけないとされている。
この考えは人権宣言で作られた考えで、ワイマール憲法などにも取り入れられたりしている。
大体の国家ではこの考えが用いられ、すべての人には生まれながらにして人権が存在し、それは不可侵的な人権であるとされている。
そうして世の中は平等となった。
福沢諭吉が「学問のすすめ」にも書いたように、人の上に人を作らず、人の下に人を作らず、だ。
つまりは、完全な平等の世界という意味である。
はたして、完全な平等は完全な平和を生み出すのだろうか。

人権的な問題から見れば、平和であるといえるだろう。
現在はどこかしらの不平等が見られる。女性差別、部落差別、人種差別などなど。それらがすべて解消されると、それまでに起こっていた問題がすべて解決することとなる。世界からは問題がひとつ消え去るわけだ。

しかし、世界はそんな方面からしか見ることのできないわけではない。
いわば3Dの世界だ。
人々が平等ならば、人々が持っているものもすべて同じ。
金銭も、能力も、すべて等しくなる。何も楽しいことが無い、回りの人々が皆、自分と同じレベルで、顔は違うものの、全く同じレベルである。そういうことになる。
そこで神と呼ばれるものは人々にひとつづつ特技を与えたのだろう。
人によって長けているものがそれぞれ違う。
しかし、そこで矛盾が生じる。平等ではなくなるということだ。
私はピアノを弾くのだが、練習してもなかなか上手にはならない。ここ3年間毎日練習している。少しづつは上手になっているのだろう。
しかし、ある日テレビである少女を見た。
ピアノを始めて1年半でウィーンの音楽学校にヘッドハンティングされた。
それを見ればピアノを弾くものとして、誰もが不平等だと思えるだろう。影にすさまじい努力がある。しかし、やはり才能という点もあるのではないだろうか。
人々は、そういう面から見れば平等ではなくなってしまう。
99%の努力と1%の才能といったものがいた。
しかし、私は60%の才能と40%の努力であると思う。
努力でも補うことのできるところは大きい。しかし、才能によるところはもっと大きいのではないだろうかと思う。

完全な平等を作り出すことは不可能だ。
たとえ、この世を作り出した神がいたとしても、だ。

国家と神とマルクス―「自由主義的保守主義者」かく語りき
佐藤 優
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可愛さで部長に負けた、私のドメイン。

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