人間哲学にとっての「生と死」は永遠のテーマである。
人はなぜ死ぬのか、なぜ生きるのか。そして、なぜ死ななければならないのか。
誰も完全に明かすことの出来ない、暗闇の中にあるテーマなのである。
なぜ暗闇の中にあるかというと、思うに人間は「意味」という概念にとらわれすぎていることにあるのではないだろうか。
そのため、辞書があるのだ。人間は、未知のものの意味を知ることによって、はじめてそれを「理解した」と捕らえるためだろう。
つまり、最終的には「生と死」は意味が無いのではないだろうか。
なぜ私は生きているのか?私はなぜ死ぬのか?
決まっているではないか。
あなたは今生きているのであり、死ぬから死ぬのだ。
答えはこれ以上でも以下でもない。
さて、今回考えるのは、生と死にもっとも近いテーマだ。
人はなぜ他人を殺すのか。なぜ殺されるのか。
それには、人間の本質的な性格もあるだろう。
では、なぜ人を殺してはいけないのだろうか。
まず、人間は本質的に他を殺す、ということについてだが、ここは食物連鎖上の話ではなく、ヒトとしての他人を殺すというところにある。
我々は、学名を「ホモ:サピエンス」という。
現在判明している中では、「アウストラロピテクス」をはじめに、人間は進化してきた。その中で、私達が生きている理由は簡単だ。
他の類人猿を殺戮してきたからだ。
つまり、ホモ:サピエンスは、最も知能が高く、最も凶暴であったのだ。
だから、殺人がなくならないのはある意味仕方の無いことなのだ。
確かにそれだから他人を殺していいというわけではないのだが。
さてさて、ここでひとつ疑問が浮かぶ。
タイトルにもなっているように、
「なぜ、人を殺してはいけないのか」
そういう質問をされたとしてみよう。
まず第一にこういう考えがある。
法律で定められているから。ということ。
しかし、これは解答の第一段階でしかない。
法律というものは、その国の文化と風土の上に成り立つものだ。そのため、なぜ法律で定められているか、という疑問もまた浮かぶ。
そして、第二段階の解答が浮かばない。
「倫理的に間違っている。」「その周囲の人々を悲しませてしまうから。」
しかし、これはやはり本質的な解答ではない。
そうなってしまうと、「駄目なものはダメなのだ。」「くだらない質問をするな。」という子供じみた発言となってしまう。
これは非常に嘆かわしい話だ。
だったらなぜ人を殺してはいけないのか。
少し前に流行ったものだが、「DEATH NOTE」という漫画があった。
あれは犯罪者を戒めるということが書かれていたのだが、もし、一般人がデスノートを持ったとき、一体どうなるのだろうか。
しかし、こう考えてみたとき、よく考えてみる。
殺人の罪というものは、刑法199条にあるのだが、その条文を見て分かるように他人を殺してはいけないという、直接的に書いたものはないのだ。
殺したものは〜という、間接的規制のみである。
だから、もしかしたら何も答えないことが最大の解答なのでは無いだろうか。
そしてきっと、一度殺されてみれば分かる解答なのだと思う。
どうしても、答えなければならないというのなら、疑問でかえし、断定的な解答を下さなければよいのではないだろうか。
「貴方は、殺されたいのですか?」
可愛さで部長に負けた、私のドメイン。人はなぜ死ぬのか、なぜ生きるのか。そして、なぜ死ななければならないのか。
誰も完全に明かすことの出来ない、暗闇の中にあるテーマなのである。
なぜ暗闇の中にあるかというと、思うに人間は「意味」という概念にとらわれすぎていることにあるのではないだろうか。
そのため、辞書があるのだ。人間は、未知のものの意味を知ることによって、はじめてそれを「理解した」と捕らえるためだろう。
つまり、最終的には「生と死」は意味が無いのではないだろうか。
なぜ私は生きているのか?私はなぜ死ぬのか?
決まっているではないか。
あなたは今生きているのであり、死ぬから死ぬのだ。
答えはこれ以上でも以下でもない。
さて、今回考えるのは、生と死にもっとも近いテーマだ。
人はなぜ他人を殺すのか。なぜ殺されるのか。
それには、人間の本質的な性格もあるだろう。
では、なぜ人を殺してはいけないのだろうか。
まず、人間は本質的に他を殺す、ということについてだが、ここは食物連鎖上の話ではなく、ヒトとしての他人を殺すというところにある。
我々は、学名を「ホモ:サピエンス」という。
現在判明している中では、「アウストラロピテクス」をはじめに、人間は進化してきた。その中で、私達が生きている理由は簡単だ。
他の類人猿を殺戮してきたからだ。
つまり、ホモ:サピエンスは、最も知能が高く、最も凶暴であったのだ。
だから、殺人がなくならないのはある意味仕方の無いことなのだ。
確かにそれだから他人を殺していいというわけではないのだが。
さてさて、ここでひとつ疑問が浮かぶ。
タイトルにもなっているように、
「なぜ、人を殺してはいけないのか」
そういう質問をされたとしてみよう。
まず第一にこういう考えがある。
法律で定められているから。ということ。
しかし、これは解答の第一段階でしかない。
法律というものは、その国の文化と風土の上に成り立つものだ。そのため、なぜ法律で定められているか、という疑問もまた浮かぶ。
そして、第二段階の解答が浮かばない。
「倫理的に間違っている。」「その周囲の人々を悲しませてしまうから。」
しかし、これはやはり本質的な解答ではない。
そうなってしまうと、「駄目なものはダメなのだ。」「くだらない質問をするな。」という子供じみた発言となってしまう。
これは非常に嘆かわしい話だ。
だったらなぜ人を殺してはいけないのか。
少し前に流行ったものだが、「DEATH NOTE」という漫画があった。
あれは犯罪者を戒めるということが書かれていたのだが、もし、一般人がデスノートを持ったとき、一体どうなるのだろうか。
しかし、こう考えてみたとき、よく考えてみる。
殺人の罪というものは、刑法199条にあるのだが、その条文を見て分かるように他人を殺してはいけないという、直接的に書いたものはないのだ。
殺したものは〜という、間接的規制のみである。
だから、もしかしたら何も答えないことが最大の解答なのでは無いだろうか。
そしてきっと、一度殺されてみれば分かる解答なのだと思う。
どうしても、答えなければならないというのなら、疑問でかえし、断定的な解答を下さなければよいのではないだろうか。
「貴方は、殺されたいのですか?」