ペーパーといえば、ペーパードライバーが思いうかぶ。
ペーパードライバーとは、一応運転免許証は所持しているが、実際に自動車を運転することはない者。又は、日常生活において運転経験がない者を指す。
確かに、このペーパードライバーの運転は危険だ。
しかし、国家を滅ぼすには及ばない。
そもそも、ここで述べる「ペーパー」はペーパードライバーのペーパーではない。
このペーパーは「試験」という意味でのペーパーだ。
ではなぜ「ペーパー」が国家を滅ぼすのだろうか。
少し歴史を振り返ってみよう。
以前、日本が盛んに戦争を行っていた時代があった。
その末期のこと。
太平洋戦争をしていた時代あたりのことである。
その当時、戦争が継続されたのは、軍事政権と何も言わない天皇のためだ。
そして、戦争を動かしていたのは、司令部。
つまり、実質国を滅ぼした責任は、司令部にある。
司令部の人間がどのように作られてきたのか。それを見てみると、このタイトルも納得いくだろうと思う。
陸軍を例に挙げてみよう。
陸軍に行くために、まず士官学校に入る。
士官学校で様々な勉強をして、そこの上位が陸軍大学に入る。
陸軍大学の上位が、陸軍の参謀に入る、というルートを踏む。
つまり、士官学校から選りに選られた人材が、司令部にいることになる。
これらは、試験に勝ち抜いてきたものたちなのだ。
と、言うことは、試験秀才が軍隊を動かし、世界に敗北し、日本を崩した。
崩れたために現在の平和があると考えてもよさそうであるが、当時は。
そう、あくまでも「当時は」。
「歴史は繰り返す」という言葉があるように、現在もコレが行われている。
現在の日本政府の官僚になろうとすれば、大体のものは東京大学の法学部へ行く。
東京大学の法学部に行こうとすれば、試験秀才でなければなら無い。
そういうことだ。
つまり、国家が崩れるという歴史がもう一度繰り返されようとしている。
崩れていく様は、今の政府を見れば一目瞭然だ。
崩れて平和になった過去は、不幸中の幸いといったところだろうが、
平和な今が崩れたら、一体社会はどうなってしまうのだろうか。
私は今警鐘を鳴らしているワケではない。
警鐘は今もなり続けているのだが、どうやら政府の肥えた耳には響かないようだ。
可愛さで部長に負けた、私のドメイン。ペーパードライバーとは、一応運転免許証は所持しているが、実際に自動車を運転することはない者。又は、日常生活において運転経験がない者を指す。
確かに、このペーパードライバーの運転は危険だ。
しかし、国家を滅ぼすには及ばない。
そもそも、ここで述べる「ペーパー」はペーパードライバーのペーパーではない。
このペーパーは「試験」という意味でのペーパーだ。
ではなぜ「ペーパー」が国家を滅ぼすのだろうか。
少し歴史を振り返ってみよう。
以前、日本が盛んに戦争を行っていた時代があった。
その末期のこと。
太平洋戦争をしていた時代あたりのことである。
その当時、戦争が継続されたのは、軍事政権と何も言わない天皇のためだ。
そして、戦争を動かしていたのは、司令部。
つまり、実質国を滅ぼした責任は、司令部にある。
司令部の人間がどのように作られてきたのか。それを見てみると、このタイトルも納得いくだろうと思う。
陸軍を例に挙げてみよう。
陸軍に行くために、まず士官学校に入る。
士官学校で様々な勉強をして、そこの上位が陸軍大学に入る。
陸軍大学の上位が、陸軍の参謀に入る、というルートを踏む。
つまり、士官学校から選りに選られた人材が、司令部にいることになる。
これらは、試験に勝ち抜いてきたものたちなのだ。
と、言うことは、試験秀才が軍隊を動かし、世界に敗北し、日本を崩した。
崩れたために現在の平和があると考えてもよさそうであるが、当時は。
そう、あくまでも「当時は」。
「歴史は繰り返す」という言葉があるように、現在もコレが行われている。
現在の日本政府の官僚になろうとすれば、大体のものは東京大学の法学部へ行く。
東京大学の法学部に行こうとすれば、試験秀才でなければなら無い。
そういうことだ。
つまり、国家が崩れるという歴史がもう一度繰り返されようとしている。
崩れていく様は、今の政府を見れば一目瞭然だ。
崩れて平和になった過去は、不幸中の幸いといったところだろうが、
平和な今が崩れたら、一体社会はどうなってしまうのだろうか。
私は今警鐘を鳴らしているワケではない。
警鐘は今もなり続けているのだが、どうやら政府の肥えた耳には響かないようだ。
日本は世界一寿命が長い国である。
それは有名な事実であり、これからもこの事実は覆されないだろう。
しかし、それがなにになるのであろうか。
人生80年。
織田信長が詠んでから、最早30年も寿命が延びている。
寿命が延びるのはなぜか。
簡単だ。医学が発達しているからだ。
医学の発達は、人間の病気を治すことを正確にし、人から「病魔」という恐怖を取り除く、間違いの無い「善」であるのだ。
しかし、むやみやたらと寿命を延ばすことは善であるということについては、「?」がつく。
なぜならば、寿命が延びているから、現在の「高齢化」にまとわりつくさまざまな害が現れてしまう。「長寿」自体はかまわないのだが…
高齢化になると、日本の歳出における年金の割合が増えてしまう。そうなると、ただでさえ政治家が悪巧みと遊びで無くなっている国のお金が、無くなる。
こういうと、「高齢者」が悪い、「年金制度」が悪い、と悪役になってしまいそうだが、それらは違う。日本の医学は進むべき方向を間違えた、というのだ。
医学は、まずとりあえず病気を回復させるために生まれた。
はじめは、良い生活は病気に打ち勝つことが出来る、病気のもとは地球から出ている腐った瘴気だ、病気は体内の四体液のバランスが取れていないために発生する、などと、宗教じみた医学から始まっている。
現在、人間の体を切り開き、悪いところを取り除くという手術が発達。
抗生物質や薬、検診方法の発達などなど。
これらの発達は、必然的に平均寿命も延ばしたのだろう。
さてさて。
これからの医学は、「取替え医学」に近いものがあると語られる。
人間の「脳」を除く部分は、取り替えることができ、それによって限りなく病気の無いからだにすることが出来るという。
つまり、「ヒューマン・ボディ・ショップ」時代だ。人間の体を売る店が、合法的に作られるかもしれないということだ。
そうなると、社会の価値観そのものが変わってきていることが分かる。
医学の発達は、「人間改造」の発達。
倫理が絡まるのは当然のことで、その領域に踏み込めば踏み込むほど、地雷が多くなるのは当然も当然なのだ。
ここで最終的な疑問が残る。
大多数の人間は、「生きることが善である」という考えを持つ。
長く生きていれば、かならずいいことがあると語られるように、そういった風潮が日本にはあるのだ。
しかし、これからの医学の発達をあらかじめ少しでも見てしまえば、生きることは人間そのものを改造することにあることがわかる。
それは、人間の死を遠ざける。つまり、大多数の人間に「悪」ととられるものを排除することが、最終的な目標なのだろう。
倫理を遵守する「死」。
人間を改造する「生」。
一体どちらが正しいのだろうか。
可愛さで部長に負けた、私のドメイン。それは有名な事実であり、これからもこの事実は覆されないだろう。
しかし、それがなにになるのであろうか。
人生80年。
織田信長が詠んでから、最早30年も寿命が延びている。
寿命が延びるのはなぜか。
簡単だ。医学が発達しているからだ。
医学の発達は、人間の病気を治すことを正確にし、人から「病魔」という恐怖を取り除く、間違いの無い「善」であるのだ。
しかし、むやみやたらと寿命を延ばすことは善であるということについては、「?」がつく。
なぜならば、寿命が延びているから、現在の「高齢化」にまとわりつくさまざまな害が現れてしまう。「長寿」自体はかまわないのだが…
高齢化になると、日本の歳出における年金の割合が増えてしまう。そうなると、ただでさえ政治家が悪巧みと遊びで無くなっている国のお金が、無くなる。
こういうと、「高齢者」が悪い、「年金制度」が悪い、と悪役になってしまいそうだが、それらは違う。日本の医学は進むべき方向を間違えた、というのだ。
医学は、まずとりあえず病気を回復させるために生まれた。
はじめは、良い生活は病気に打ち勝つことが出来る、病気のもとは地球から出ている腐った瘴気だ、病気は体内の四体液のバランスが取れていないために発生する、などと、宗教じみた医学から始まっている。
現在、人間の体を切り開き、悪いところを取り除くという手術が発達。
抗生物質や薬、検診方法の発達などなど。
これらの発達は、必然的に平均寿命も延ばしたのだろう。
さてさて。
これからの医学は、「取替え医学」に近いものがあると語られる。
人間の「脳」を除く部分は、取り替えることができ、それによって限りなく病気の無いからだにすることが出来るという。
つまり、「ヒューマン・ボディ・ショップ」時代だ。人間の体を売る店が、合法的に作られるかもしれないということだ。
そうなると、社会の価値観そのものが変わってきていることが分かる。
医学の発達は、「人間改造」の発達。
倫理が絡まるのは当然のことで、その領域に踏み込めば踏み込むほど、地雷が多くなるのは当然も当然なのだ。
ここで最終的な疑問が残る。
大多数の人間は、「生きることが善である」という考えを持つ。
長く生きていれば、かならずいいことがあると語られるように、そういった風潮が日本にはあるのだ。
しかし、これからの医学の発達をあらかじめ少しでも見てしまえば、生きることは人間そのものを改造することにあることがわかる。
それは、人間の死を遠ざける。つまり、大多数の人間に「悪」ととられるものを排除することが、最終的な目標なのだろう。
倫理を遵守する「死」。
人間を改造する「生」。
一体どちらが正しいのだろうか。
「日本人は少し脅せば言うことを聞く」
アメリカの政治方針に、このような言葉が入っているように思える。
そもそも、なぜ日本人がこのような脅しに弱いのか。
昔からそうである。アメリカが黒船に乗ってきただけで恐れ、ペリーが「開国しろ」といえば、開国してしまう国が、日本である。
そのため、国際的な立場となっては少し弱いのだろう。
前安倍首相を見てみれば分かることであるが、考えていることをハッキリと言えない人だったのだ。ハッキリといえないから、方針として、長いものには巻かれろ、となってしまうのだ。非常に嘆かわしい。
一度、「イヤ」といえないのだろうか。その「イヤ」で少しは日本の見られ方が変わるのではないだろうか、と思う。
さて、話は変わるが日本が言い返せないことといえば、「靖国神社の参拝」の問題。
日本が中国に「参拝するな」とちょっと圧力をかけられれば、日本国民からも参拝をするなという声が上がる。
私は、何がいけないのだろうか、と思う。
そもそも、靖国に祀られているのは、日本の宗教、とくに神道における「神様」であって、中国で犯罪を行った人間とは次元の違う存在である。
と、まあコレは屁理屈というものだが、これらの人々は、極東軍事裁判によって裁かれ、罪を償い、神として祀られている。
しかし、なぜ参拝するのか。それは人によって代わってくるのだが、小泉前首相は、「戦死者達に敬意を示すため」といった。
なぜ参拝するのか。参拝の必要性。
それらが明確に説明できたとき、中国は言い返せなくなるのではないだろうか。
しかし、たぶんそれは難しいことだろう。
自国の文化を簡潔に、それでいて完璧に説明できる日本人はそう多くは無い。
それでいて、文化の違う中国に分からせるのは、無理というものだ。
中国は、いままで皇帝が次々と変わっている。
皇帝が変わるたびに、前皇帝の墓を暴き、人々の前で辱める。
それが、中国の歴史的文化だ。
日本との共通点は、全く無い。
徳川氏は滅ぼされただろうか。いや生きている。ここからも、それらの文化の違いは現れている。
文化の違いは、絶対に埋められない。
今まで先人達が生きてきた中でゆっくりと築かれたものだ。打ち壊すのも、取り替えるのも難しい。不可能に近い。
全く、グローバル化が進む中、このような穴を埋める方法が見つからないものか。
可愛さで部長に負けた、私のドメイン。アメリカの政治方針に、このような言葉が入っているように思える。
そもそも、なぜ日本人がこのような脅しに弱いのか。
昔からそうである。アメリカが黒船に乗ってきただけで恐れ、ペリーが「開国しろ」といえば、開国してしまう国が、日本である。
そのため、国際的な立場となっては少し弱いのだろう。
前安倍首相を見てみれば分かることであるが、考えていることをハッキリと言えない人だったのだ。ハッキリといえないから、方針として、長いものには巻かれろ、となってしまうのだ。非常に嘆かわしい。
一度、「イヤ」といえないのだろうか。その「イヤ」で少しは日本の見られ方が変わるのではないだろうか、と思う。
さて、話は変わるが日本が言い返せないことといえば、「靖国神社の参拝」の問題。
日本が中国に「参拝するな」とちょっと圧力をかけられれば、日本国民からも参拝をするなという声が上がる。
私は、何がいけないのだろうか、と思う。
そもそも、靖国に祀られているのは、日本の宗教、とくに神道における「神様」であって、中国で犯罪を行った人間とは次元の違う存在である。
と、まあコレは屁理屈というものだが、これらの人々は、極東軍事裁判によって裁かれ、罪を償い、神として祀られている。
しかし、なぜ参拝するのか。それは人によって代わってくるのだが、小泉前首相は、「戦死者達に敬意を示すため」といった。
なぜ参拝するのか。参拝の必要性。
それらが明確に説明できたとき、中国は言い返せなくなるのではないだろうか。
しかし、たぶんそれは難しいことだろう。
自国の文化を簡潔に、それでいて完璧に説明できる日本人はそう多くは無い。
それでいて、文化の違う中国に分からせるのは、無理というものだ。
中国は、いままで皇帝が次々と変わっている。
皇帝が変わるたびに、前皇帝の墓を暴き、人々の前で辱める。
それが、中国の歴史的文化だ。
日本との共通点は、全く無い。
徳川氏は滅ぼされただろうか。いや生きている。ここからも、それらの文化の違いは現れている。
文化の違いは、絶対に埋められない。
今まで先人達が生きてきた中でゆっくりと築かれたものだ。打ち壊すのも、取り替えるのも難しい。不可能に近い。
全く、グローバル化が進む中、このような穴を埋める方法が見つからないものか。
お久しぶりです。
最近、巷でよく聞く「いい曲」。
高校生くらいの少年少女がこういうのを街中で聞く機会が増えてきた。
「最近いい曲少ないよね」。
ここで疑問になるのは、「いい曲」とは、一体どういった曲なのだろうか。
まず思うのは、いい曲とはその個人個人が感じ取る、いわゆるメッセージの受け取り方ではないのであろうか。
個人によって感性が違うのは当然であって、青なら青、黄色なら黄色と確実に受け取ることの出来るメッセージ以外、つまり、この場合でいう音楽といった五感で確実に捉えることの出来ないもの、つまり、第六感を研ぎ澄まして感じ取らなければならないものは、人によってその差異が生じても当然だ。
しかし、「売れる曲」が存在している限り、第六感で感じ取っていないということは分かる。もしかしたら流行に押され、購入している人も多いだろうが、購入したからには「いい曲」というだろう。
それならば、現在の音楽は、感性に訴えかけるものではないということが分かる。
そう考えると、現在の音楽は次のひとつの力を持つものではないか、と想像できる。
音楽というのは、作曲者、作詞者、そしてもちろん歌唱者、演奏者のメッセージを代弁する道具なのだろう。
音楽という存在自体は、きっと氷山の一角であって、その海面下のメッセージをどうにか伝えるためにあるのだろう。
そうなると、「いい曲」というのはきっと、そのメッセージに気がついた人はそういうのであろう。
私は最近の音楽のよさが分からない、としばしば言ってきたかも知れない。
しかし、それはメッセージを受け取ろうとしていない、つまり音楽を聞く前から拒否しているのではないだろうか。
しかしながら、私は「気づいた」と「いい曲」は別物であると考える。
なぜなら、いい曲とはやはり音楽としてのよさの枠を脱しないものであり、気づいたというのは、メッセージ性のよさであるため、「いい曲」とはまた違ったものであると考えるからである。
そうなると、「いい曲」の定義というのも、昔から今まで少しずつ変わってきているのだろうか。
可愛さで部長に負けた、私のドメイン。最近、巷でよく聞く「いい曲」。
高校生くらいの少年少女がこういうのを街中で聞く機会が増えてきた。
「最近いい曲少ないよね」。
ここで疑問になるのは、「いい曲」とは、一体どういった曲なのだろうか。
まず思うのは、いい曲とはその個人個人が感じ取る、いわゆるメッセージの受け取り方ではないのであろうか。
個人によって感性が違うのは当然であって、青なら青、黄色なら黄色と確実に受け取ることの出来るメッセージ以外、つまり、この場合でいう音楽といった五感で確実に捉えることの出来ないもの、つまり、第六感を研ぎ澄まして感じ取らなければならないものは、人によってその差異が生じても当然だ。
しかし、「売れる曲」が存在している限り、第六感で感じ取っていないということは分かる。もしかしたら流行に押され、購入している人も多いだろうが、購入したからには「いい曲」というだろう。
それならば、現在の音楽は、感性に訴えかけるものではないということが分かる。
そう考えると、現在の音楽は次のひとつの力を持つものではないか、と想像できる。
音楽というのは、作曲者、作詞者、そしてもちろん歌唱者、演奏者のメッセージを代弁する道具なのだろう。
音楽という存在自体は、きっと氷山の一角であって、その海面下のメッセージをどうにか伝えるためにあるのだろう。
そうなると、「いい曲」というのはきっと、そのメッセージに気がついた人はそういうのであろう。
私は最近の音楽のよさが分からない、としばしば言ってきたかも知れない。
しかし、それはメッセージを受け取ろうとしていない、つまり音楽を聞く前から拒否しているのではないだろうか。
しかしながら、私は「気づいた」と「いい曲」は別物であると考える。
なぜなら、いい曲とはやはり音楽としてのよさの枠を脱しないものであり、気づいたというのは、メッセージ性のよさであるため、「いい曲」とはまた違ったものであると考えるからである。
そうなると、「いい曲」の定義というのも、昔から今まで少しずつ変わってきているのだろうか。