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夏本番。
実に暑い日々が続く。本日も、30℃を越えていたかのようで、やるせないほど暑くなった。人々に聞けば、夏は嫌いという人が多い。
過ごしにくいからだ。夏の昼は、殺人的な太陽光線が降り注ぐため、皆この時間を嫌う。清少納言が述べたように「夏は夜」である。
しかし、夏の昼もまた趣があると思う。
夏の昼の2時ごろ。
世間は少しの間静かになる。住宅街ではそれが顕著だ。
その中に響く掃除機の音がどうも、夏らしさを感じさせてくれる。
また、青い青い空が煌いているもの、趣があるだろうと思う。

つまり、人は何かを感じる際、悲観的な部分、自分にとってマイナスになる部分を強く感じる傾向にあると思う。
夏や冬は、寒い。春と秋には極端な温度変化が無いため、比較的好まれている。
しかし、日本の四季には、それぞれの美しさが秘められており、それを探すことが出来れば、夏を好きになることは簡単だ。

また、夏でも嫌われがちなのが梅雨の時期。
主婦には、洗濯物が乾かないなどの理由で嫌われることが多い。湿度が高くて生活しづらい。蒸し暑い。
ここにも悲観的な部分が沢山ある。
しかし、この文明の時代だ。自然環境的なストレスは文明の利器によって簡単に解決することが出来るだろう。
クーラーを一台かけるだけで、気温は下がる。気温が下がれば、飽和水蒸気量が減り、空気中の水分は水滴になるので湿度は下がる。
これで快適になるだろう。

そうなれば、美しいものを美しいと感じる日本人の心は生まれるはずだ。
梅雨時期はアジサイの色が映え、心地よく美しい。
また、雨の滴る音でさえ、気持ちのよいものになるはずだ。

そんな中でもどうしようも無いものはセミの鳴き声である。
セミの鳴き声は、どうしても夏のイメージと直結し、暑苦しいイメージをかもし出してしまう。
これだけは、プラス思考に直しようも無い。
夕方まで、待つしかない。

夕方になると、ひぐらしが鳴く声が響く。
私が田舎に住んでいるだけだろうか、非常に涼しいものだ。
夕だけでも、近くの山に行ってみると、蚊はうっとうしいものの、クーラーの涼しさよりも、涼しい日本の落ち着いた「涼」を得ることが出来るはずだ。
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最近、久々にテレビを見た。このような便利な道具がこの世にあったとは、と感動した。もちろん嘘だ。しかし、以下のことは嘘ではない。うそであってほしいことではあるものの、嘘ではないのだ。

中国でダンボールを食されていたのには驚愕した。
ダンボールを肉まんに入れて食していたというのだ。しかもその割合というのもダンボール6に対してひき肉4と、明らかに「ダンボールまん」となっている。
ダンボールは中国人の主食であるかのような肉まんである。

このダンボール肉まん。
使用されたのは実に10年も前になるという。
これは工業用のカセイソーダが使用されており、人体には良くない。吐き気などを催す。さらに悪ければ死亡する可能性が無いわけではない。

さらにダンボール入りの餃子が発見された。
材料は同じカセイソーダダンボールだろうと思う。
中国は自国の料理にさえ、誇りを持たないのだろうか。それとも、その料理は新たな中華四大料理に仲間入りするのだろうか。

中国の食品は、現在最悪といえる。
食品だけではない。物品も最悪だ。カドミウムや鉛、銅などを平気で含ませている。
中国でその会社がどうなったかは知らないが、日本でそんな商品があれば即会社は倒産である。
さらに2005年度には中国全土で760万人ががんで死亡した。これは世界のがん死亡者数の13%に相当する。
20倍カドミウムのコメやスイカ。こんなものを食べていたらすぐに死んでしまう。

中国は何を考えているのだろうか。
国民を何だと思っているのだろうか。

私の知人は、中国の発展が遅れた理由を作るのは、儒教が影響しているといった。
儒教がなぜ影響するのか?
儒教には、「士農工商」という考えがある。商の下には金融があるわけであるが、今はそれを考えないでいよう。

商業を最も卑するべき位とする。
そのためだ。物品を横に流すだけで利益を得るという商業を卑下した目で見るのだ。
つまり、「商業をすることに意味は無い」が強いのだ。
商業が根付かないために中国が発展しなかったという。

そのことによって食物も適当に作られてきたというところも大きいだろう。
砂漠に木は生えない。
たとえ良いものが入ってきた国でも、それに適する文化が無ければ根付かないのは当然だ。
ペキンオリンピックが心配になってきた今日この頃である。
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管理人が体調を崩したため、少しの間休暇をとらさせていただきます。
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今回の年金問題もあり、政治不信に陥っている人も少なからずいるだろう。
すくなくとも、私は自民党が信じられなくなった。このブログを長い間読んでいた人は、私が昔安倍首相を支持していたのは分かるだろうと思うが、最早信じられない。

現在の支持率を見ていれば分かるが、自民党の党首の考えがあの通りでは、自民党は信じることが出来ない。
思うに、自民党は腐敗している。

一体、安倍内閣は何人辞任したのだろうか。辞任だけならまだいい。松岡農相の自殺もあった。安部内閣は、安倍首相の「なかよしグループ」といわれた。
なかよしごっこは、政治の場に持ってくるべきではない、と今言っても遅い。

安倍内閣の不祥事は異常だ。
私が常に思うのは、なぜやめないのか。
内閣総理大臣といえば、大臣をすべてコントロールする大臣である。英語では、The Prime Minister、第一級の大臣と訳される。
ならば、大臣の行動は首相の指示によるものがあるだろう。上司は、間違った方向に正そうとするのが常であろう。
今回の件は、首相にも責任がある。

政治、内閣腐敗は、今なお続いている。
腐敗は、現在に始まったことではない。確かに今まで積み上げられてきたことだろう。しかし、問題を正面からザクリと切った小泉首相の後では、ネチネチとした安倍首相からネチネチと問題が溢れているような錯覚を覚える。

ただ、腐り始めたものをそのまま放って置くわけには行かない。
自民党は腐敗している。
参議院選挙で、その腐りを切り捨てることが出来るのか、それとも一新して野党が政権を握るのか。
それが今どうなるか楽しみで仕方ない。
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本日は七夕だ。
七夕といえば、笹に短冊というのがいかにも七夕というもので、願い事を笹につるすのはどうやら江戸時代に始まったものらしい。
つまり、もともと願いごとをする日ではなかったようだ。しかし、今では個人だけでなく、スーパーマーケットなどでも七夕用の笹が飾られており、一般客が願い事を書くことが出来るようになっていたり、現在では七夕=願い事となっている。

もともと中国の節句であり、最も古い七夕の記は、後漢時代の崔寔が書いた『四民時令』であり、書物を虫干しにしたことが記されている。
もしかしたら、書物を虫干しにしたことから、短冊に願い事をつるすようになったのかもしれない。

こんな七夕の日、カップルで星を見に行くというロマンチックなデートが敷かれている恋人も多いだろうと思う。しかし、今私の住む姫路市は曇っている。
七夕くらい晴れないのか、と思うかたも多いだろう。
しかし、七夕の日、じつは「晴れにくい日」でもあるのだ。
七夕はもともと旧暦の7月7日に行われていた祭りなのだが、その旧暦7月7日を、統計的に見ると47%だそうだ。(いつからの統計であるかは、参考元で言及されていなかった。)
また、明治時代より、新暦を使用し始めてから、現在の新暦7月7日になったということらしいが、その日、つまり今の七夕の日の晴れる確立は30%だという。
つまり、晴れの神様に嫌われた日でもあるといえるだろう。

しかし、そんな日の雨は、洒涙雨と呼ばれ、織姫と彦星の涙だとつたえられている。雨が降ってもロマンチックな日だ。
もっとも、曇ってしまってはロマンチックなところはなくなってしまうのだが。

さて、貴方達はもう本日の願い事をしただろうか。
わざわざ笹に飾らなくとも、部屋につるしておけばいいだろうと思う。後は、星が叶えてくれるだろう。
(そもそも、なぜ七夕の日に願い事となったのかが気になるが。)
私はもう願い事をつるしてきた。

急に話は変わるが、そろそろ参議院選挙だ。
参議院選挙によって、自民党のこれからが分かるだろう。
現状は与党と野党は五分五分だそうだ。
しかし、これだけは言うことができる。
どの政党であっても、民意を100%反映することが出来なければ、私の願い事はかなわない。

「日本が光り輝きますように。」
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しばらく前に「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」という本が出版され、人気が出たということを聞いたことがある。
なぜだなぜだ、と思いまだ読んでいない。

しかし、今日のニュースでその真相が明らかになった。
その本にその内容が書かれていたかは分からないが、北海道の詐欺的なさおだけ屋のさおだけの売り方を見ていれば、潰れない理由など、だれであっても一目瞭然だ。

その方法というのも、1000円〜1000円〜といいながら横行しているさおだけ屋だが、実際に行ってみると、
「1000円のは錆びているから、こっちのステンレスのを切るよ」
と、店員(?)はステンレス製のさおだけをわざわざ切り出す。
そして請求される金額は、2,3万円。
急に値段が上がれば誰だって文句を付ける。
そしたら店員は、強い武器を繰り出してくるのだ。

「クーリングオフは出来ない」

なるほど、さおだけ屋は訪問販売には類されないため、クーリングオフは適用されない。
しかし、1000円とうたっておいて数万円を請求するということは、明らかな詐欺だ。
錆びた竿を持っているあたりがいやらしくて悪質だ。

「本来売るつもりだった安い竿が錆びているので、仕方なく高級なステンレスの竿を切り出して売った。」
そういう言い訳につなぐことが出来るのだろう。

しかし、この商売、と言っていいのかは分からないが、日本人の特徴、心理をうまくついていると思う。
まさか、錆びていることを理由に高い竿を買わされるとは思わないし、一度呼び止めてしまうと、自分から断りづらい。
「NO」とはいえない日本人とは、よく言ったものだ。

このさおだけ商売だが、下手をすると物干し台まで買わされるという。
この物干し台、数十万程度するそうだ。
物価の高い日本でも、数十万する物干し台は見たことが無い。
さぞかし、素晴らしい物干し台なのだろう。

わざわざ高い物干しさおを買わなくとも、ホームセンターに行けば、安くてものほし竿の代わりになりそうなものは沢山あるはずだ。
こういう販売には引っかからないようにしたいものだ。
もし、間違えて呼び止めて買わされてしまった時は、隠さずにまず誰かに相談することがいい。なんらかの改善策をとることが出来るはずだ。
可愛さで部長に負けた、私のドメイン。

昨日の記事にあったコメントについて現在考えており、これからのこのブログの方向性に考えるために、数日の休日をいただきます。

「転嫁」じゃないんだな。

ここのブログいつも見てて思うことだが
管理人のBAKAさ加減に笑ってしまうときがある。

誤字はもちろんだが言いたいことを簡潔にまとめられてない上に
要約すると何のことは無い、TVや新聞の社説で語られていることとあまり変わらないのである。
もちろん何かを見て書いたとか写したというわけではないだろう。
だが周りと同じ意見しか出てこない人物がわざわざブログを書く必要があるだろうか。



転記させていただきました。
私も同様に思うようになっておりました。
私の知能云々については、これから改善が非常に難しいこともあり、私の注意が必要かと思われますが、それ以降の文章。
社説と変わらない。
その言葉が引っかかったために、休ませていただきます。

「このブログは他とは違うブログにしたい」
それが達成できるか否かは、定かではありません。

ただ、しばらくの間考え、実行できる出来ないにかかわらず、再開することは確かです。
可愛さで部長に負けた、私のドメイン。

日本は責任転換が好きな国だ。
最近の騒動を見ていれば、誰だってそう思うに違いない。安倍首相のボーナス返上。ミートホープ社の一斉解雇。「転換」ではないが、裁判などでは、責任能力が無いことを主張し、刑の減免を目指している人も多い。
日本では、責任がぽんぽんと宙を舞う。
人間にとっては持ちたくないものだろう。持っていると、生きていくうえで必ず追求される。やはり、責任を持つことは、重大なことであり、難しいことなのだ。
それを、何も出来ないような人物が持っていてはいけない。
また、負の道へと進むものも持ってはいけない。
責任は、自己の管理が完全に出来るものが持つべきである。

今回の安倍首相のボーナス返上を貴方はどう感じただろうか。
立派な行動だと感じたか。誠意を感じたか。
私は、どうでもいいと思う。安倍首相のボーナスが減ろうと、なくなろうとどうだっていい。正直、問題が発覚しておいてボーナスをもらうという時点でおかしいものだ。さらに言えば、上層部の人間は責任を取るとき、自分の利益、収入に置いて自分が苦しくならない程度でしか削らない。
安倍首相がボーナスをいくら削ろうと、月収だけでも十分暮らしていけるだろう。つまり、ボーナスを削ったところで、安倍首相の誠意はそこに表れない。
むしろ、「この程度でも国民は見逃してくれるだろう」という逃げの姿勢がよりいっそう強まって見える。責任を持つものは、逃げてもいけない。
完璧な人間が持たなければならないが、いるはずも無い。つまり、誰もが責任を持ってはいけないのではないだろうか。

また、ミートホープ社の一斉解雇。
やはり上層部は、自分に影響が出ないように一般従業員を削り、謝罪の形を現した。
しかし、従業員を削るのは、こちらから見れば謝罪の形ではなく、八つ当たりにしか見えない。謝罪ならば、辞職するなど方法はある。自分に影響が出ない程度の謝罪など、全く持って不愉快だ。
このとき、ミートホープ社は責任をあたかも従業員が持っているかのように見せたために解雇させた。やはり、自分に影響が無いように責任をとったかのように見せるのはあまりにも卑怯な方法だろうと思う。

では先程述べたように、逃げる人間が責任を持っていてはいけない。
しかし、逃げない、負の方向へ進まない、自己の管理が完璧などとこれらのそろった完全など存在しないだろう。それも、社会や企業という影にいる人間ならなおさらだ。
そこで、責任は一体誰が持てばいいのだろうか。
誰もが責任を放棄したとき、社会には何も残らない。
責任は、全員で持つものなのだ。連帯責任という言葉があるが、責任はもともと連帯するものであり、連帯してこそ価値と役割を持つものなのだ。
連帯責任ならば必ず他人にもそのしわ寄せが及ぶ。つまり、人間の心が残っているならば、必ず自分の責務を果たそうとするのだ。
猶、責任を持たせるのは、多いほうが良い。
自分ひとりの責任で、他人までもが嫌な目を見るからだ。

江戸時代には、五人組という制度があった。基は豊臣秀吉が作成したとされる。
もともと、隠れキリシタンを取り締まる名目で作られたのだが、治安維持などにしようされた。これは、五人組が相互監視することで、悪行を減らそうとしたもので、処罰は連帯責任として負わされていた。
江戸時代は、一揆や打ちこわしは多発したものの、外国のような紛争などは無かった。
こういう制度も、それに一躍買っているかもしれない。
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携帯電話の進化はとどまるところを知らないようだ。最も古い携帯電話は、重くて、持ち運びが不便なものだった。本当に、ただ「携帯」出来るだけの電話だったのだ。
しかし、今の携帯電話を見てみよう。
様々な方向に特化した携帯電話が見られる。
たとえば、デザインに特化したもの。記憶容量に特化したもの。通信速度に特化したもの。音質に特化したもの。などなど。
最早携帯電話とは言うことのできないすごい機能を持つものも多い。
特に通信速度の向上が顕著であって、「ユビキタス社会」の実現は最早現実のものとなってきたのではないだろうか。そういう意味で、携帯電話の進化は恐ろしい。

先日、アメリカで今一番進んでいるであろう携帯電話が発売した。ニュースなどでも話題となっており、日本上陸が待ち遠しいものとなっている。
それが、「iPhone」。ポータブルミュージックプレイヤーの「iPod」の機能を併せ持つ携帯電話として、米国ではその人気ぶりがテレビに映し出された。
ゲームなどで行列が出来るのは、PS3やWiiのときにも見ただろうが、家電で行列が出来るのはごく稀な例であろうと思う。

このiPhoneだが、何がすごいのか。
操作の基本はタッチパネル。タッチパネルにすることで、従来の携帯電話には必ずあった「ボタン」を減らし、小型化することが出来るのだ。
また、インターネットに接続し音楽や動画を簡単にダウンロードできる。
インターネット動画サービスの「you tube」の動画も携帯電話から視聴可能だということもあり、非常に便利なものである。

日本の携帯も実に素晴らしい進化を遂げている。
現代社会で生きていくうえで最も必要なものは携帯電話ではなかろうか。
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